Download 靖国神社遊就館 Gif

Download 靖国神社遊就館 Gif. 10年前、マニラ特派員だった私は、東南アジア各国の歴史・戦争博物館を訪ね歩きました。「自存自衛」という日本の身勝手な理屈で、侵略、占領された側の痛苦の思いが伝わってきました。 遊就館に足を一歩踏み入れた次の瞬間から、そのギャップのすさまじさに驚かされました。 遊就館玄関ホール。そこに堂々と展示されているのは泰緬(たいめん)鉄道を走った機関車―「恥知らずな…」との思いがこみあげました。 泰緬鉄道は戦前、日本軍がタイとビルマ(ミャンマー)の間に建設した415キロの線区です。インドへの侵攻作戦に必要な軍需物資の輸送路を確保するためでした。映画「戦場に架ける橋」の舞台にもなりました。 過酷な労働に栄養不足、マラリアなどの病気、連合軍の攻撃…。連合軍捕虜数万人、アジア人数十万人が亡くなったとされます。 「英国統治下の時も計画されたが、難路にて着工されなかった」、それが「1年3カ月という驚異的な速さで完成した」と、誇らしげに紹介しているのが遊就館です。 タイの博物館には、やせ細った男たちが腰巻き一つで、まくら木を担がされている人形が展示されていました。 インドネシアから泰緬鉄道の建設現場に連れて来られた人を取材したとき、彼はいいました。 「生き残れたことがいまでも不思議だ。人の生き血を吸って完成した鉄道だな」 遊就館にくると、東南アジアの博物館とはまるで違う歴史観に戸惑い、日本軍に人間の尊厳を踏みにじられた人たちの憤る声が聞こえてきそうでした。(豊田栄光) Jan 19, 2014 · 靖国神社にたどり着くまで.

靖国神社遊就館その2 ( 旅行 ) - >>>牡羊座の独り言 Part2
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遊就館の展示「大東亜戦争」を見て、日本軍が東南アジア、太平洋を舞台にいかに激しい戦争を繰り広げたか、よく分かりました。激しい攻撃にどれだけ多くの人が巻き込まれ亡くなったか、想像にかたくありません。 しかし、遊就館には英霊の写真はあっても、日本が攻め入った国の人々の姿はありませんでした。加害の事実を無視し、戦争を一方的な美談に仕立て上げています。そればかりか日本の植民地支配への抵抗を「排日」「テロ」だと表現していました。 韓国、中国の歴史記念館を訪れたことを思い出しました。ソウルの西大門刑務所歴史館では、抵抗運動を続けた朝鮮人へ徹底した弾圧が繰り広げられたことが分かりました。 南京大虐殺記念館では、土に埋まった数々の人骨が保存されていました。日本軍に数十カ所刺され流産しながらも生き残った李秀英さん(2004年死去)にも出会いました。北京・盧溝橋の抗日戦争記念館では、日本の侵略とのたたかいが新中国建国にとってどれほど重要なものであったかが理解できました。暗く重い気持ちになりました。植民地支配、領土拡大を推し進める側は、徹底的に残虐だったのですから。 被害を受けた国々は、そのことをしっかり記憶しています。一方的に消し去ることのできない歴史の事実です。 (鎌塚由美) 戦没者の遺族は靖国神社をどのような思いで見ているのでしょうか。 愛知県の安間妙子さん(60)は先月、知り合いに誘われて初めて遊就館に入りました。「軍歌を流したり戦争中のビデオを見せたりするコーナーは軍国主義時代に戻ったようで、逃げるように通り過ぎた」と言います。 父親は戦争末期、人間魚雷「回天」を潜水艦で沖縄へ輸送中に撃沈されました。そのとき生後4カ月だった妙子さんに父の記憶はありません。 大展示室の「回天」の実物と、父親の乗っていた潜水艦の写真の前で思わず足が止まりました。「でも戦死した無名の人を手厚く葬っている感じはしませんでした」 安間さんはマスコミの記者に「父親は無駄死にだったと思うか」と聞かれて悲しくなったことがあります。 「その後で父は平和の礎になったんだと気づきました。遊就館はそれとは反対の作りになっています」 一方、「行く気がしない」という遺族が多いのも事実です。東京都の白井克雄さん(62)もその一人。父はニューギニアで戦死しました。靖国神社は子どもの時に一度、母に連れられて行ったきりです。 「戦死といってもマラリアと飢えで死んだと、戦友から母は聞いたようです。そんな死に方をさせてなにが聖戦ですか。靖国は戦争を美化していると聞きますが、また戦争をする国にするためとしか思えません」 肉親の死を戦争宣伝の道具に使う靖国神社が遺族の心に沿うものとは思えません。(北村隆志) Sep 01, 2016 · 韓国人の女子大学生の子が、靖国神社と遊就館に行きたいとう。さか、韓国人がこんなことを言うとは!「いいけど、いいの?」と念を押すと、「大丈夫です。どういうところか分かっていますから」と言って笑う。でも、そこで見た日本人、展示、外国人にショックを受けて黙ってしまう.

Feb 16, 2021 · 零戦・彗星が目の前に!靖国神社の戦争博物館「遊就館」の展示物・見どころ紹介! 靖国神社境内にある「遊就館(ゆうしゅうかん)」は、22の展示室を有する博物館・宝物館です。

戦没者の遺族は靖国神社をどのような思いで見ているのでしょうか。 愛知県の安間妙子さん(60)は先月、知り合いに誘われて初めて遊就館に入りました。「軍歌を流したり戦争中のビデオを見せたりするコーナーは軍国主義時代に戻ったようで、逃げるように通り過ぎた」と言います。 父親は戦争末期、人間魚雷「回天」を潜水艦で沖縄へ輸送中に撃沈されました。そのとき生後4カ月だった妙子さんに父の記憶はありません。 大展示室の「回天」の実物と、父親の乗っていた潜水艦の写真の前で思わず足が止まりました。「でも戦死した無名の人を手厚く葬っている感じはしませんでした」 安間さんはマスコミの記者に「父親は無駄死にだったと思うか」と聞かれて悲しくなったことがあります。 「その後で父は平和の礎になったんだと気づきました。遊就館はそれとは反対の作りになっています」 一方、「行く気がしない」という遺族が多いのも事実です。東京都の白井克雄さん(62)もその一人。父はニューギニアで戦死しました。靖国神社は子どもの時に一度、母に連れられて行ったきりです。 「戦死といってもマラリアと飢えで死んだと、戦友から母は聞いたようです。そんな死に方をさせてなにが聖戦ですか。靖国は戦争を美化していると聞きますが、また戦争をする国にするためとしか思えません」 肉親の死を戦争宣伝の道具に使う靖国神社が遺族の心に沿うものとは思えません。(北村隆志) 10年前、マニラ特派員だった私は、東南アジア各国の歴史・戦争博物館を訪ね歩きました。「自存自衛」という日本の身勝手な理屈で、侵略、占領された側の痛苦の思いが伝わってきました。 遊就館に足を一歩踏み入れた次の瞬間から、そのギャップのすさまじさに驚かされました。 遊就館玄関ホール。そこに堂々と展示されているのは泰緬(たいめん)鉄道を走った機関車―「恥知らずな…」との思いがこみあげました。 泰緬鉄道は戦前、日本軍がタイとビルマ(ミャンマー)の間に建設した415キロの線区です。インドへの侵攻作戦に必要な軍需物資の輸送路を確保するためでした。映画「戦場に架ける橋」の舞台にもなりました。 過酷な労働に栄養不足、マラリアなどの病気、連合軍の攻撃…。連合軍捕虜数万人、アジア人数十万人が亡くなったとされます。 「英国統治下の時も計画されたが、難路にて着工されなかった」、それが「1年3カ月という驚異的な速さで完成した」と、誇らしげに紹介しているのが遊就館です。 タイの博物館には、やせ細った男たちが腰巻き一つで、まくら木を担がされている人形が展示されていました。 インドネシアから泰緬鉄道の建設現場に連れて来られた人を取材したとき、彼はいいました。 「生き残れたことがいまでも不思議だ。人の生き血を吸って完成した鉄道だな」 遊就館にくると、東南アジアの博物館とはまるで違う歴史観に戸惑い、日本軍に人間の尊厳を踏みにじられた人たちの憤る声が聞こえてきそうでした。(豊田栄光) Jan 19, 2014 · 靖国神社にたどり着くまで. 遊就館を見学するには、想像力が必要です。 ◇ ◇ 日中戦争での日本軍の戦いぶりを紹介するビデオ映像。タイトルは「支那事変 総攻撃」。画面上の中国の地図の上、日本軍が爆撃した各都市に爆弾のマークが一つ一つ増えていく。上海、杭州、南京…。映像は「壮挙だ」と屈託なく説明します。 想像しましょう、この爆弾マーク一つひとつの下に、どれだけの人が暮らしているのか。爆弾が破裂する家の中にいる子どもや父、母の顔を。 ニューギニア作戦に従事した日本軍第18軍。食糧などの補給を受けられず、死者の9割は餓死と推定されています。遊就館の解説パネルは、18軍が「人間の限界をこえた苦闘」を戦いぬくなかで「崇高な人間性」が発揮され「多くの逸話を残した」と語って終わります。「餓死」の文字すら出てきません。 大展示室には特攻機「桜花一一型」があります。小さな飛行機のような形で、先端には1.2トンの爆薬をさく裂させる信管。母機の爆弾倉につり下げて出撃し、敵艦船の手前で切り離されて操縦士もろとも突っ込みます。車輪など着陸用の装備はなく、回避も帰還も不可能です。 この重さ約2トンの金属の塊に乗りこむ時の、絶望感を想像します。上空で、切り離される瞬間を待つ恐怖を想像します。想像しないと、展示からは何も伝わってきません。 以前訪れた「ひめゆり平和祈念資料館」(沖縄県糸満市)には、艦砲射撃で手足を飛ばされた女子学生や自決に失敗した兵士らの苦しむ姿を伝える証言があふれていました。 遊就館の戦争展示に全く欠けているものの一つは「血のにおい」。戦争の血生臭さ、そしてアジアと日本の2千万を超える人々が払った犠牲のいたましさです。(安川崇)


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